2014年8月29日金曜日

海に「鉄」をはこぶ川 [畠山重篤]




「東京湾と鹿児島湾、お魚が捕れるのはどっちだと思いますか?」

そう聞かれ、ほとんどの子供たちは「鹿児島湾」と答えた。赤く濁った東京湾と、青く澄んだ鹿児島湾。お魚はやはり青い海のほうにいるような気がしたのだ。



しかし答えは「東京湾」。

「赤茶けた東京湾のほうが、鹿児島湾より30倍もお魚が捕れるんですよ」

「ウッソー」

子供たちは一斉に驚きの声。



——なぜかと言うと、鹿児島湾は霧島の爆発でできた湾なので、大きな川が流入していない。それに比べて東京湾は、あの巨大な湾が2年で真水になってしまうほどの川が流れ込んでいる(江戸時代以前は、利根川も東京湾に流入していた)。じつは同じ海といっても、塩水だけの海と、川の水が入る海では、海の生物生産の底辺を支える、植物プランクトンの発生量が格段に違う。九州は真珠の養殖が盛んだが、鹿児島湾にはアコヤ貝(真珠の母貝)の養殖イカダは浮かんでいない。エサとなる植物プランクトンが少ないからだ(畠山重篤)。






宮城・気仙沼(けせんぬま)では、漁師たちは昔から海辺の森を「魚付(うおつき)林」と呼んで大切にしてきた。森が消えると魚が寄り付かなくなることを知っていたからである。

この辺り(三陸)はリアス式海岸と呼ばれ、カキ、ホタテ、ホヤ、ワカメ、コンブなどの養殖業が盛んなところである。それらの餌となる植物プランクトンが豊富にいるからである。「リアス」の語源は「川(スペイン語でリオ)」。ノコギリのようにギザギザに削られた海岸線は、海の波ではなく川の流れによって形づくられたことを意味する。そしてスペイン語の「リア」は「潮入り川」と訳される。

——縄文時代より前、地球は寒く氷河期といわれる時代であった。その頃、海の水位は現代と比べおよそ150mほど退いていた。それでも夏は雨が降るので、海辺まで川が削った谷が続いていた。つづく縄文時代は、いまより温暖な気候であったことが知られている。海の水位が上昇するとともに、川に削られた谷に海がゆっくりと侵入してきたのである。縄文海進と呼ばれる所以である。この縄文時代は1万年もつづき、谷は深く削られていった(畠山重篤)。






なぜ川の水が、海に豊かな恵みをもたらすのか?

川からは、いったい何が流れてくるのか?



答えは「鉄」。

しかし、ただの鉄ではない。森の落ち葉、腐葉土の生み出す特別な鉄、「フルボ酸鉄」。普通の鉄と違うのは、水に浮かぶということ。川の流れに浮遊できるフルボ酸鉄は、川底に沈殿することなく海にまで流れていける。

じつは現在の海は貧血状態であり、鉄分が不足している。だから植物プランクトンが少なくなりがちだ。しかし河川から鉄分が補給される海ならば、植物プランクトンが多く棲まえる。東京湾がそうであるように。



地球は「鉄の惑星」である。そもそも太陽系には鉄とニッケルが最も多量にある。地球はその質量から憶測すると、その目方の3分の1は鉄の重さなのだという。

その多量の鉄を利用して、植物は光合成を開始した。鉄を利用して葉緑素(クロロフィル)を作りだしたのである。それは36億年も前の話。その元祖がシアノバクテリアと呼ばれる細菌である。

知ってのとおり、光合成は酸素を生み出す。そして酸素は鉄を酸化(サビ)させる。すると、錆びた鉄(酸化鉄)は海底に沈む。そのサイクルが15億年もつづくと、海からは鉄が取り除かれてしまった。その結果、植物プランクトンが頼れるのは、川から流れ落ちてきてくれるフルボ酸鉄だけになってしまった。気仙沼の漁師たちは、こうした科学的なことを体験的に知っていた。だから川上の森を大事にしたのである。



気仙沼の沖からは、室根山という独立峰がのぞめる。

——その地質は花崗岩系で鉄分が多いという。それでも山が荒れればフルボ酸は生まれない。漁民はこの山から木を植えはじめた。牡蠣の養殖を生業をとする彼らは、海からはるか離れた山に登り、落葉広葉樹の森づくりをはじめたのだ。室根山に登り、足下に鉄を感じたことはなかったが、このメカニズムを知るにつけ、いまでは足裏に鉄を感じてならない。岩を踏むと、”フルボ酸鉄”と聞こえてくるから不思議である(畠山重篤)。






出典:岳人 2014年 09月号
畠山重篤「山と海の出逢い」



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