2015年10月13日火曜日

「人の生は落胆にあふれている」 [フリチョフ・ナンセン]



話:フリチョフ・ナンセン





 食事も終わった。雪原を遠くまではっきりと見通すためには、日没時に合わせて稜線に上がるのがいちばん良いのだが、それに間に合うためにはグズグズしていいられない。食事と休憩によって体力も回復したので、私たちは出発した。

 雪質は悪くなっていった。雪の上には、ここ数日の霜のせいで薄氷が張っていて、体力をたちまち奪い去ってゆく。足を載せると容赦なく割れ、抜こうとすると踝(くるぶし)にまとわりつく。体力に自信のある者ですら根を上げる種類の雪だ。足をまったく鍛えていなかった私たちは、ひどく疲れていた。浮氷にボートを上げて少し引っ張るという作業以外、たいした運動をしていないのだから。

 しかし、くじけている場合ではない。雨と悪天が迫っているような雲行きなので、できるだけ早く稜線に着かねばならない。すでにそのあたりの空は不吉な灰色でどんよりとしている。私とスヴェルドルップは歩く速度を倍増して、めげずに進んだ。遅くなって何も見えず、山の上で翌日まで待つのも、また登り直すのも馬鹿らしい。

 ペースを早め、歩幅も大きくしたのだが、スヴェルドルップにはこれがこたえたようだった。足が短い彼にとって、雪の中で私がつけた足跡を同じようにたどって歩くのは大変な負担だったのである。「あなたが履いているのは、アーサー王の魔法の靴か」と、苦しまぎれの悪口も出ようというものだ。



 あそこまで行けば到着だと願い、着けばまだ上り坂が続くという繰り返しの末、私たちはついに尾根の頂に到着した。しかし、なんということだろう、”人の生は落胆にあふれている”。ひとつ頂に着くと、その先には視界をさえぎる別の山がそびえているものだ。実際、そのとおりの状況だった。

 進まねばならない。この小探検の目的は、先の氷の状態を確かめることだからである。きょう歩いた15kmほどの距離のなかで、雪の状態が最悪の部分をすでに通過したことは間違いないと思われるのだが、先に何があるかは判らない。目の前に出現したもう一つの尾根に登るべく、私たちはできるかぎりの速さで進んだ。クレバスは多そうだが、行く手を阻むほどのものではない。

 目の前の急坂を登りはじめたとき、小雨が降り出した。雪質は悪くなり、膝まで沈みこむようになった。雨と霧は、好き勝手に人を痛めつける。疲れてきた私たちは、ひんぱんに休憩を取らなければならなかった。しかし今度は間違いない。雨が上がりさえすれば、内陸をよく見通すことができるだろう。すでにすこし視界は開けはじめ、これまで姿を現していなかった山の頂も見えるようになった。私たちは、意気も新たに前進を続けた。



 やがて、ついに山頂に到達。苦労と試練は報われた。純白の雪原が、目の前に壮大に広がっている。雨は微細な霧のような形で降りつづけているが、遠くの風景の細部を観察できないほどではない。地平線に至るまで滑らかで、亀裂はないようだ。

 それは予想どおりであるが、思ってもみなかったのは大小のヌナタク(氷床から頂部のみが突き出た山や丘)の数であり、内陸へ向けて雪原のあちこちから突き出している。多くは雪を乗せて白いが、崖や裂け目から岩がむき出しになっているものもあり、単調な白の背景と鋭いコントラストとなって、歓迎すべき目安である。

 最も遠い山頂までは、40〜50kmと推定した。そこまで行くには何日もかかるだろう。傾斜は見渡すかぎり均一でゆるやかだが、私たちが今日体験したとおり、雪の状態は厳しいだろう。最後はとりわけ難所だった。夜が寒くならないようだと、見通しが明るいとはいえない。気圧計によると、ここは海抜1,200mほどなので、あと何百メートルか高さを稼げば、少なくとも夜は氷点下になる。グリーンランドの内陸で、さらに寒さを求めるという哀れな者たち、それが我らである。







出典:フリチョフ・ナンセン『グリーンランド初横断』