2015年5月14日木曜日

山背と巨樹「雪地蔵」 [高桑信一]



話:高桑信一




オホーツク海から吹きつける冷たい風、山背。

奥羽山脈の太平洋側では冷害をもたらすと嫌われているこの風が、山を越えると一転して宝の風となり、森に巨樹を育てるのだという。

♪ 吹けや生保内(おぼね)東風(だし)
  七日も八日も
  吹けば宝風、ノオ稲実る  ♪

秋田民謡、生保内(おぼね)節の一節だ。この東風(だし)は「山背(やませ)」のことで、山背よ吹け、何日でも吹け、吹けば宝風(たからかぜ)となって、おらほの田んぼに稲を実らす、という意味である。

山背はオホーツク海気団がもたらす夏の冷たく湿った北東気流で、東北地方の太平洋岸に冷害をもたらすことで知られている。その山背が、奥羽山脈を越えると一転して暖かく乾いた風となり、仙北平野のとりわけ生保内(おぼね)地方に豊作を約束するのである。

冬の季節風は、冷たく乾いたシベリア寒気団が日本海の暖流の湿気を吸い上げて、日本海側に大雪をもたらすが、山背はいわば、その真逆の現象といえる。

岩手の知人によれば、秋田駒ケ岳の北東に、頭を東に向けた馬の雪形があらわれるという。口から山背を吸い込んだ馬が、尻から宝風を生保内地方に向けて屁のようにぶっ放すというのだから、これは冷害に泣かされる雫石地方の農民の恨み節にちがいあるまい。





その宝風が、和賀山塊の巨樹を育むのではないかという説がある。和賀本峰の周辺で冷気と湿気を振り落とした山背が、白岩岳を越え、宝風となって巨樹を育てた可能性は十分にある。

「雪地蔵」はすぐにわかった。空気が濃密になり、音が消えたように思えた。雪地蔵は日本で2番目に太いブナ。樹齢は300年とも700年ともいわれている。だれが見つけ、いつから雪地蔵と呼ばれるようになったかは知らないが、洒落た名前をもらったこのブナが、古くから山仕事の人々に親しまれてきたことを思わせる。

下山後、地元の精通者の佐藤隆さんに訊いたら、「ああ、あれより太いブナはあるんだがね」と、こともなげに言った。

雪地蔵の前は、対岸の小影山のブナが日本一だった。そして今は、十和田湖の奥入瀬にあるブナが日本一になっている。したがって、まだ知られていない、もっと太くて古いブナが存在する可能性は高い。

しかし、順位などどうでもいいではないか。2位に格下げになったおかげで熱狂が静まり、道も整備されることなく、雪地蔵はこうして静かに佇んでいられるようになったのだ。









引用:岳人 2015年 06 月号 [雑誌]
高桑信一「日本で二番目に大きなブナを訪ねて 和賀山塊・白岩岳1177m」









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