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笈ヶ岳(おいずるがだけ)の名を知らしめたのは、『日本百名山』を著した深田久弥だった。
地元の加賀市大聖寺から見えるこの山に、深田は中学生のころから憧れていた。百名山に選出したかったが、当時、深田は登頂の機会をつかむことができず、諦めざるを得なかったという。
「笈岳登山は多年の私の念願であった。しかしこの山には道がない。藪がひどいから残雪の頃を見計らって登るほかない。その残雪も少し時期が早いと深くもぐるし、少しおくれると雪の消えたところに厄介な藪がでてくる。ちょうどいい時分というのはわずかである。(中略)あれやこれやと考えると、なかなか一筋縄ではいかぬ山である(『百名山以外の名山50』)」
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深田久弥は65歳のとき、遂に50年来の憧れの山へ向かう。苦しいのは覚悟の上と、藪をこぎ、雪の急斜面を歩き、笈ヶ岳の頂上に立った。その文章からは、苦難と同時に、春を待ちきれない草木の躍動を感じた深田氏の喜びが伝わってくる。
引用:岳人 2015年 04 月号 [雑誌]
笈ヶ岳「春だからこそ登れる残雪の名峰へ」
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