生前、「冒険家になる資質は何か?」と問われた植村は
「臆病であることです」
と満面の笑みで答えた。
アマゾン川をイカダで下り、世界で初めて五大陸最高峰に登り、グリーンランド3,000km、北極圏1万2,000㎞を犬ゾリに乗って単独で走って、北極点へも到達した植村直己。
しかし1984年2月12日、自らの誕生日に、彼は北米マッキンリーで姿を消した...。
植村直己が生を受けたのは、兵庫県の豊岡。
植村直己冒険館の吉谷義奉館長は言う。
「但馬(たじま)人はよくこう言われます。控えめで温厚で、粘り気が強いと。植村さんもそうした但馬人気質をよく持っていたと思いますよ」
農家に生まれた植村直己は、7人兄弟の末っ子で、明治大学山岳部の出身。部の中で最も体が小さく、入部したころは他のメンバーについていけず、真っ先に倒れていたという。ずんぐりむっくりの見てくれから「ドングリ」というアダ名をつけられていた。
吉谷館長は続ける。
「どこへ行っても、植村さんのことを知っている人は『すごい冒険家』とは言いません。『あんなに一生懸命な人はいない』と言うんです」
植村直己が単独行を好んだのは、「みんなと一緒にやっていると、誰が困っているのか分かってしまう。わかってしまうと気になって仕方がない。それがしんどい」からだったという。エベレスト登頂時も、一緒にアタックした先輩に先を譲り、記録用のカメラを捨ててまで身を軽くして、ベースキャンプの仲間へ山頂の石を持ち帰っている。
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