2014年8月27日水曜日

金と登山と [7大陸最高峰]




地球には7つの大陸があって

それぞれに一番高いところがある



7大陸、7つの最高峰

セブン・サミッツ



アジア大陸 エヴェレスト(8,848m)
ヨーロッパ大陸 エルブルース(5,642m)
北アメリカ大陸 マッキンリー(6,168m)
南アメリカ大陸 アコンカグア(6,959m)
アフリカ大陸 キリマンジャロ(5,895m)
オーストラリア大陸 カルステンツ・ピラミッド(4,884m)
南極大陸 ヴィンソン・マシフ(4,892m)



現在、7大陸最高峰の頂に立つのは「お金と時間さえあれば可能(石川直樹)」である。ただ、「莫大なお金と膨大な時間がかかる(倉岡裕之)」。

——そもそもセブン・サミッツという概念は、アメリカの石油王、ディック・バスがつくりあげたもの。であるから、限られた人だけに許された「近づき難い領域」ではない(『山と溪谷 2014年9月号』)。



ならば一体、どれほどのお金がかかるのか?

「気になるセブンサミッツの料金は『1,800万円〜3,580万円』。プラス装備代、現地での宿泊費、食費となる。意外とかかるのが、シェルパやガイドへのチップ代。これも30万円くらいみたほうがよいだろう(倉岡裕之)」

アジア大陸 エヴェレスト(500〜1,000万円)
ヨーロッパ大陸 エルブルース(80〜130万円)
北アメリカ大陸 マッキンリー(7〜400万円)
南アメリカ大陸 アコンカグア(100〜150万円)
アフリカ大陸 キリマンジャロ(50〜100万円)
オーストラリア大陸 カルステンツ・ピラミッド(300〜1,000万円)
南極大陸 ヴィンソン・マシフ(500〜600万円)






中国の「ジン・ワン」という2児の母は、7大陸最高峰に2極(北極・南極)をくわえた「7+2プロジェクト」という挑戦をおこない、そして完遂した。

気になるお値段は「1億5,000万円」。これほど額が跳ね上がったのは、彼女が「世界最速」を目指したことと、セブンサミッツに「コジオスコ(オーストラリア大陸)」と「モンブラン(ヨーロッパ大陸)」を加えて、9つの頂を登ったためだった。



じつはセブンサミッツの定義には2種類あり、一つが石油王ディックのもので、オーストラリア大陸の最高峰は「コジオスコ(2,228m)」となり、もう一つが登山家ラインホルト・メスナーのもので、同大陸の最高峰は「カルステンツ・ピラミッド(4,884m)」となる。というのもオーストラリア大陸に関しては、狭義にはオーストラリア一国、広義にはニュージーランドやニューギニアを含めた「オーストラーシア大陸」という2つの考え方があるためだ。

またヨーロッパ大陸の最高峰に関しても、かつて「モンブラン(4,810m)」が数えられていたが、後年、ロシアの「エルブルース(5,642m)」に置き換えられた歴史がある。冒険家・植村直己も最初はモンブランに登頂して「世界5大陸最高峰」の初登頂を成し遂げたが、エルブルースが最高峰とされると、1976年に登り直している。



いずれにせよ、いまやお金さえあれば達成できるセブンサミッツ全登頂。それゆえ、中国のジン・ワンは「最速」を目指した。しかし残念ながら、彼女は世界記録に3日及ばなかったようだ(現在の最短記録は6ヶ月と11日らしい)。

さらに彼女は物議をかもしだした。すでに閉山されていたエヴェレストに無理やり登ったり、その際、ヘリコプターで上まで行き過ぎたりしたからだ。そのためネパール政府は彼女に「登頂証明書」を発行することを躊躇しているという。



「7大陸最高峰の頂と2つの極点に、半年以内に立つということは、お金と時間さえあれば可能なので、『冒険的な意味』は皆無にちかい。これはジンへの皮肉ではない。2児の母である彼女が、セブンサミッツをわずか半年でさらっとやってのけたとすれば、その行為自体よりも、そうした行為が可能である今の世界の変貌に驚かされるばかりだ(石川直樹)」

「セブンサミッツは、近年ブームとなった日本百名山と同様に、『ピーク・バッガー(頂稼ぎ)』たちの目標となって久しい(池田常道)」






そんな金権的な時代の流れに、あえて逆らおうとする登山家もいる。

キム・チャンホ(韓国)

——エフェレスト登頂のスタート地点は、なんと海(ベンガル湾)。標高0mからカヤックを漕ぎ出し(156km)、サイクリング(893km)、トレッキング(162km)を経て、無酸素でエヴェレスト山頂を目指した。水平距離1,211km、標高差8,848mの長大な旅である(『山と溪谷 2014年9月号』)。



キム・チャンホは言う。

「海で生まれた雲がインドの平原を通過して、ヒマラヤ山脈で雪を降らせ、その雪はやがてガンジス川になりふたたび海へと流れ込みます。このような自然の循環を『人力』でたどり、肌で感じることがこの旅の醍醐味でした」

カヤックでは蚊の来襲をうけ、サイクリングでは尻の痛みに耐え、エヴェレストのベースキャンプまで着くのに約40日も要した。



彼にとって2度目であったエヴェレストへの挑戦、成功すれば「8,000m峰、全14座、無酸素登頂」の偉業も同時に達成されることになる。

しかしなぜ、彼はそのような大事なチャレンジに、必要以上に困難な道を選んだのか? そこにはエヴェレスト初挑戦のときに失った2人の仲間への思いがあった。

「かけがえのない仲間でした…。悲しみのなかベースキャンプを離れて帰国する途中、私は決心しました。次にエヴェレスト山頂を目指すときは、『通常ではない特別な登り方』で挑戦しなければならない、と」



エヴェレストでは、海抜0mと比べて酸素の量が3分の1に落ちる。

「零下30℃を下回る低温で、酸素を満足に取り入れることができない状態では、やがて指を切らなければならないのではないかと不安を感じる時がよくありました。わたしたちの身体は極限の環境で生き残るために、身体の器官を一つ一つ捨ててゆきます。動いてはいるが、死にむかっていくのです。しかし、私はどんな苦痛でも、すべて『自分自身の力』で山に登りたいのです。登山家としてもっている探検本能がそのように思わせるのではないでしょうか」



——ベンガル湾をスタートしてから70日後、長大な旅の完結とともに、キム・チャンホは8,000峰14座、無酸素登頂を世界最短記録(7年10ヶ月)で成功させたのだった(『山と溪谷 2014年9月号』)。

しかしその栄光の影で、また一人の仲間が逝った。

——無酸素登頂に成功した翌朝、メンバーのソ・ソンホがテント内にて死亡しているのが発見された。試飲は高度障害と極度の疲労と推定された(『山と溪谷 2014年9月号』)。



ふたたび悲しみの淵に立たされたキム。

「ソンホは、ただ血がつながっていないという事実以外は、私にとって実の弟です。ほかに言葉はありません…」







7つの頂に登るということに関して、かつて登山家パトリック・モローはこう言った。

「まずクライマーたれ。次にコレクターになれ」






(了)






出典:岳人 2014年 09月号 [雑誌]
「世界の最高峰 7つの物語」



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