2015年5月16日土曜日

大樹と人間 [荘子]



話:石井弘明




 縄文杉で有名な屋久島にあるヤクスギランドから太中岳に登る登山道の途中に、スギの大木が立っている。幹回りは5m以上あり、波打つ太い樹皮から交差するように伸びた2本の大きな枝は融合し、まるで指で輪をつくった大仏の手のようにも見える。

 歩道から少し離れているため名前がつけられていないこの巨樹を、私は勝手に「大仏杉」と呼んでいる。一部が白骨化したその巨体には、たくさんの植物や動物が宿り、大仏のように大らかに、永きにわたって森の生態系を支え続けている。

 この大仏杉のように、屋久島で樹齢一千年を超える老大木は「屋久杉」と総称される。長年の生育で生じた割れ目や空洞は、鳥や小動物、昆虫たちが外敵や気候条件から身を守り、営巣するための居心地のよい空間となっている。



 この一帯の森は、江戸時代に伐採されたあとに再生したものだ。

 先述の大仏杉など、現存する巨樹の多くは、形が悪く木材としての利用価値が低かったため、伐採を免れた。人類の産業にとっては利用価値が低く、「ブスギ(ブサイクな杉の意)」と呼ばれて伐採されなかった巨樹は、樹上の生物や植物たちの拠り所となり、生物多様性を現在の森へ引き継ぐノアの箱舟のような役割を果たした。

 光合成による炭素吸収量は、その木の葉の量に応じて決まり、葉の量は幹の断面積に比例して増加する。たとえば直径200cmの屋久杉の葉の量は、直径40cmのスギの約25本分に相当する(幹の断面積5倍に対して、葉の量は25倍)。





引用:岳人 2015年 06 月号 [雑誌]
石井弘明「森の命と循環をになう巨樹」








以下、『荘子 第1冊 内篇』人間世篇より



 大工の棟梁の石(せき)が、斉の国を旅行して曲轅(きょくえん)という土地にいったとき、櫟社(れきしゃ)の神木である櫟(くぬぎ)の大木をみた。その大きさは数千頭の牛をおおいかくすほどで、幹の太さは百かかえもあり、その高さは山を見おろしていて、地上から七、八十尺もあるところからはじめて枝がでている。それも舟をつくれるほどに大きい枝が幾十本と張りでているのだ。

 見物人が集まって市場のような賑やかさであったが、棟梁は見かえりもせず、そのまま足をはこんで通りすぎた。弟子たちはつくづくと見とれてから、走って棟梁の石(せき)に追いつくと、たずねた。

「われわれが斧や斤(まさかり)を手にして師匠のところに弟子入りしてから、こんなに立派な材木はまだ見たことがありません。師匠がよく見ようともせずに足をはこんで通りすぎたのは、どういうわけでしょうか」

石(せき)は答えた。

「やめろ。つまらないことを言うでない。あれは役たたずの木だ。あれで舟をつくると沈むし、棺桶をつくるとじきに腐るし、道具をつくるとすぐに壊れるし、門や戸にすると樹脂(やに)が流れ出すし、柱にすると虫がわく。まったく使い道のない木だよ。まったく使いようがないからこそ、あんな大木になるまで長生きができたのだ」



 棟梁の石(せき)が旅を終えて家に帰ると、櫟社の神木が夢にあらわれて、こう告げた。

「オマエはいったい、このワシを何に比べているのかね。オマエは恐らくこのワシを役にたつ木と比べているのだろう。いったい柤(こぼけ)や梨(なし)や橘(たちばな)や柚(ゆず)などの木の実や草の実の類は、その 実が熟するとむしり取られもぎ取られて、大きな枝は折られ小さな枝はひきちぎられることにもなる。これは、人に役にたつ取り柄があることによって、かえって自分の生涯を苦しめているものだ。だから、その自然の寿命を全(まっと)うしないで途中で若死にすることにもなるわけで、自分から世俗に打ちのめされているものなのだ。世の中の物ごとはすべてこうしたものである。それに、ワシは長いあいだ役にたたないものになろうと願ってきたのだが、死に近づいた今になってやっとそれが叶えられて、そのことがワシにとって大いに役だつことになっている。もしワシが役にたつ木であったとしたら、いったいここまでの大きさになれたろうか。それにオマエもワシも物であることは同じだ。どうして相手を物あつかいして批評することができよう。オマエのような今にも死にそうな役たたずの人物に、どうしてまた役たたずの木でいるワシのことがわかろうか」

 棟梁の石(せき)は目が覚めると、その夢のことを話して聞かせたすると弟子がたずねた。

「自分から無用でありたいと求めていながら、社(やしろ)の神木などになったのは、どうしてでしょうか」

石(せき)は答えた。

「静かに! オマエ、つまらないことを言うでない。あの木はただ神木の形を借りているだけだ。わからずやどもが悪口をいうのがうるさいと思ったのだ。神木とならなくても、まず人間に伐り倒されるような心配はない。それに、あの木が大切にしていることは世間一般とは違っている。それなのに、きまった道理でそれを論ずるとは、いかにも見当はずれだ」




南伯子綦(なんぱくしき)が商の丘に行ったとき、大きな木を見た。四頭だての馬車が千台集まっても、その大木の陰にすっぽり隠れてしまうほどである。

子綦(しき)はつぶやいた。

「これは何の木であろうか。これはきっと素晴らしい使い道のある木にちがいない」

ところが、目を上げてその小枝をみると、曲がりくねっていてとても棟木(むなぎ)や梁(はり)にすることはできず、目を伏せてその太い幹をみると、木の心(しん)が引き裂けていて棺桶をつくることもできない。その葉を舐めると口がただれて傷がつき、その臭いをかぐと狂おしく酔っ払って、三日たってもなおらない。

子綦(しき)は言った。

「これはなんと使い道のない木であった。だからこそこれだけの大きさになれたのだ。ああ、あの神人もこの使い道のないあり方によって、あの境地にいられるのだ」



引用:『荘子 第1冊 内篇



匠石之齊,至乎曲轅,見櫟社樹。其大蔽數千牛,絜之百圍,其高臨山十仞而後有枝,其可以為舟者旁十數。觀者如市,匠伯不顧,遂行不輟。弟子厭觀之,走及匠石,曰:「自吾執斧斤以隨夫子,未嘗見材如此其美也。先生不肯視,行不輟,何邪?」曰:「已矣,勿言之矣!散木也,以為舟則沈,以為棺槨則速腐,以為器則速毀,以為門戶則液樠,以為柱則蠹。是不材之木也,無所可用,故能若是之壽。」匠石歸,櫟社見夢曰:「女將惡乎比予哉?若將比予於文木邪?夫柤、梨、橘、柚、果、蓏之屬,實熟則剝,剝則辱,大枝折,小枝泄。此以其能苦其生者也,故不終其天年而中道夭,自掊擊於世俗者也。物莫不若是。且予求無所可用久矣,幾死,乃今得之,為予大用。使予也而有用,且得有此大也邪?且也,若與予也皆物也,奈何哉其相物也?而幾死之散人,又惡知散木!」匠石覺而診其夢。弟子曰:「趣取無用,則為社何邪?」曰:「密!若無言!彼亦直寄焉,以為不知己者詬厲也。不為社者,且幾有翦乎!且也,彼其所保,與眾異,以義譽之,不亦遠乎!」

南伯子綦遊乎商之丘,見大木焉有異,結駟千乘,隱將芘其所藾。子綦曰:「此何木也哉?此必有異材夫!」仰而視其細枝,則拳曲而不可以為棟梁;俯而見其大根,則軸解而不可為棺槨;咶其葉,則口爛而為傷;嗅之,則使人狂酲三日而不已。子綦曰:「此果不材之木也,以至於此其大也。嗟乎!神人以此不材!」宋有荊氏者,宜楸、柏、桑。其拱把而上者,求狙猴之杙者斬之;三圍四圍,求高名之麗者斬之;七圍八圍,貴人富商之家求樿傍者斬之。故未終其天年,而中道已夭於斧斤,此材之患也。故解之以牛之白顙者,與豚之亢鼻者,與人有痔病者,不可以適河。此皆巫祝以知之矣,所以為不祥也,此乃神人之所以為大祥也。

引用: 莊子 內篇 人間世








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