2015年3月18日水曜日

いまから「猟師」になりたい人へ



千松信也「ぼくは猟師になった



「まえがき」より



 僕が猟師になりたいと漠然と思っていた頃、「実際に猟師になれるんだ」と思わせてくれるような本があれば、どれほどありがたかったか。確かに、世の中に狩猟の技術に関する本やベテラン猟師の聞き書きのような本はありますが、「実際に狩猟を始めてみました」という感じの本は見たことがありません。ましてやワナ猟に関する本は皆無に等しいです。実際の狩猟、猟師の生活をひとりでも多くの人に知ってもらえたら、と前々から思っていたことも本書の執筆の動機でした。

 狩猟というと「特殊な人がする残酷な趣味」といった偏見を持っている人が多いです。昔話でも主人公の動物をワナで獲る猟師はしばしば悪者として描かれます。また、狩猟をしていると言うと、エコっぽい人たちから「スローライフの究極ですね!」などと羨望の眼差しを向けられることもあります。でも、こういう人たちは僕が我が家で、大型液晶テレビをお笑い番組を見ながら、イノシシ肉をぶち込んだインスタントラーメンをガツガツ頬張っているのを見ると幻滅してしまうようです。僕を含め多くの猟師が実践している狩猟は、「自分で食べる肉は自分で責任を持って調達する」という生活のごく自然な営みなのですが…。いろいろな意味で、現代の日本において猟師は多くの人々にとって遠い存在であり、イメージばかりが先行しているようです。

 そこで本書では、具体的な動物の捕獲法だけでなく、僕がどういうきっかけで狩猟をしたいと思い、実際に猟師になるに至ったのかも詳しく書いています。また、獲物を獲ったり、その命を奪った時、そして解体して食べた時の状況をなるべく具体的に書き、その料理のレシピなども紹介しました。本書を読んで、少しでも現代の猟師の生身の考えや普段の生活の一端を感じていただけたらありがたいです。そして、僕より若い世代の人たちが狩猟に興味を持つきっかけになれば、これ以上うれしいことはありません。







「あとがき」より





 本書で紹介した狩猟の方法や鳥獣の解体の仕方、調理法などは、あくまでも僕が師匠から教わったことを参考にしながら実践している方法です。他の地域にはまた違った狩猟法や解体の仕方が伝わっていますし、様々な伝統もあります。僕自身もまだまだ修行中の身で、決してこれが正しい完成されたやり方というわけではありません。本書は僕が狩猟を学んでいくなかで試行錯誤しているその途中経過の報告ぐらいに考えていただけるとありがたいです。新米猟師の書いたことと、大目に見ていただければと思います。

 七度目の猟期を迎えて思ったのは、やはり狩猟というのは非常に原始的なレベルでの動物との対峙であるが故に、自分自身の存在自体が常に問われる行為であるということです。地球の裏側から輸送された食材がスーパーに並び、食品の偽装が蔓延するこの時代にあって、自分が暮らす土地で、他の動物を捕まえ、殺し、その肉を食べ、自分が生きていく。そのすべてに関して自分に責任があるということは、とても大変なことであると同時にとてもありがたいことだと思います。逆説的ですが、自分自身でその命を奪うからこそ、そのひとつひとつの命の大切さもわかるのが猟師だと思います。

 猟師という存在は、豊かな自然なくしては存在しえません。自然が破壊されれば、獲物のいなくなります。乱獲すれば生態系も乱れ、そのツケは直に猟師に跳ね返ってきます。狩猟をしているときは、僕は自分が自然によって生かされていると素直に実感できます。また、日々の雑念などからも解放され、非常にシンプルに生きていけている気がします。








ソース:千松信也「ぼくは猟師になった



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