2015年3月11日水曜日
自分で決める山登り [打田鍈一]
きっかけは「遭難」だった。
打田鍈一氏は語る。
「若い頃に旅行のノリで秩父へ行ったんです。駅前の観光地図で、熊倉山という温泉と山歩きが楽しめそうな場所を見つけて。そのまま地図も水も食料も持たず、街を歩くような格好で向かいました。そうしたら案の定、本当は沢沿いの道から左の山腹へ上がるところを、まっすぐ行っちゃったんですね」
道迷い遭難だ。
打田氏は続ける。
「滝場に行き当たったので登ってみると、その途中でにっちもさっちも行かなくなって。そこの岩棚で遺書まで書きましたよ。でもまあ、遺書まで書いたら落ち着いてきて、結局なんとか戻ることができたんですけどね」
この遭難という非日常的なスリルが、打田氏の山魂に火をつけた。
名山と呼ばれる山々を、次々と制覇していった。
「でも、どこの名山も混んでいて、”東京をそのまま山の上に持ってきたようなもの”じゃないかって。人様の手が入っていない自然を求めているのに、これじゃあ意味がない」
もはや、大勢で既存ルート(登山道)をトレースするという登山に興味を失ってしまった。
「登山道を歩くぶんには、”人に言われた通りに歩くようなもの”で、自分の独創性なんかまったく感じないんですよ。ましてや山小屋があるような場所は特にね」
登山道に背を向けた打田氏が向かった先は「道なき道」、藪(やぶ)だった。
「地形図を駆使しながら、ほとんど人跡のない場所を進み、複雑な岩場はロープを持ち出して乗り越える。すべてを自分で決めるような山登りです」
打田氏は言う。
「いまは、道具がなければ登れないという風潮がありますが、”できるだけ道具に頼らずに登るべき”です。スニーカーで登って不便を感じたら、ちゃんとした靴を買えばいい。雨に降られて惨めな思いをしたら、雨具を揃えればいい。とにかく”自分で体験してみること”が重要です」
ちなみに打田氏は「山頂で饅頭を食う」という嗜みをもつ。
藪山の山頂で、饅頭で一息つく。
そんな乙な風景が、藪山には似合っている。
打田氏いわく
「登山の真の面白さは、標高とは無関係です」
(了)
ソース:Fielder vol.20 道なき道を行く (SAKURA・MOOK 66)
打田鍈一「道なき道を行く理由」
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存じ上げない方ですが、ヨイショしてくださり、ありがとうございました。
返信削除とても嬉しいことですが、残念ながら『藪岩魂 ハイグレード・ハイキングの世界』は再版されず、山と渓谷社の在庫もなくなりました。電子書籍では購入できるようですが…。
ありがとうございました。打田鍈一