2015年4月12日日曜日
マッターホルン初登頂 [エドワード・ウィンパー]
スイスの名峰
マッターホルン(Matterhorn)
美しいピラミッド型のこの山は、標高が4,478mもありながら、ほとんど雪が積もらない。というのも、4つの斜面があまりにも急激に落ち込んでいるため、たとえ雪が降ってもすぐに斜面を雪崩てしまうからだ。
そんな激斜面を登ろうとした男たちがいた。
イギリスの登山家、エドワード・ウィンパー率いる7人の男たちである。それは今から1世紀も前、19世紀後半のことだった。
『現代のような軽量かつコンパクトな登攀道具などない。当時の様子を描いたデッサンをみると、衣類は重そうなコートやテーラージャケット。ザイルは当然、麻製で太さが13mmもあった。いったい、どんなに重たい装備をかついで登ったことか…。その過酷さには想像を絶するものがある(BE-PAL)』
ウィンパーら7人は、8度までマッターホルンの切り立った岩壁に、その行く手を阻まれた。
そして9度目。ついに成功する。歴史に刻まれるマッターホルン初登頂。1865年のことである。
しかし歓喜もつかの間。下山をはじめた直後に、7人中の4人が岩壁から滑落して死んでしまう。
懸命の捜索むなしく、ついに一人の遺体は発見されなかった。そのほか3人の遺体は現在、スイス・ツェルマットにある墓地に丁重に葬られている。
”ヨーロッパ登山界において、マッターホルンの初登頂というのは特別な意味をもつ。単に一つの山が初めて登られたのではない。この登頂によって『アルピニズム』と呼ばれる近代登山が確立したからだ(PEAKS)”
アルピニズムとは?
”それまでの登山には、なんらかの目的があった。それは宗教上の理由であったり狩猟であったり、いずれにしろ山に登ることは手段であって目的ではなかった。それに対して、登ること自体を目的としたのがアルピニズムと呼ばれるものだ(PEAKS)”
19世紀の中盤から盛んになった、このアルピニズム。その最後の難課題とされたのが「マッターホルンの登頂」だったのだ。
ちなみに日本人でマッターホルンを登頂成功したのは
1965年、芳野満彦と渡部恒明が北壁を日本人として初登攀。
1977年、長谷川恒男が冬期北壁を単独で初登攀している。
ソース;BE-PAL(ビ-パル) 2015年 05 月号 [雑誌]
スイスの名峰・マッターホルン研究
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