2014年11月23日日曜日

山形小国 五味沢マタギ







 温暖化による寡雪傾向の近年でこそ目撃例があるものの、古来雪国ではイノシシや日本シカは生息していなかった。深い雪が彼らの侵入を許さなかった。ウサギやムササビなどの中型獣や、捕獲を禁じられているカモシカをさておけば、食用に供される大型獣はツキノワグマしかいなかった。

 そのツキノワグマは、捨てる部分が皆無といっていいほど利用価値の高い野生動物であった。山間の乏しいタンパク質を補うための肉をはじめ、毛皮や熊胆(ゆうたん)は高値で換金され、骨でさえ乾燥して粉末にしたものが、打ち身や血圧の薬として、余すところなく利用されたのである。

 小国(山形県)の熊猟が春の巻き狩りの形態を採ったのは、飯豊連峰や朝日連峰の広大な山容と無縁ではない。冬眠を終え、芽吹き前の残雪の山裾に這い出した熊を狙うには、集団で追う方法が効率的だったのだ。







 早朝のマタギ小屋に、まるで地の底から湧き上がるように、鉄砲ぶちたちが集まってきた。それはまるで、平時は農作業に従事していながら、戦となると鍬や鋤を刀や槍に持ち替えて戦場に走る、戦国時代の農民の姿を見る思いであった。どの猟場に入るにせよ、近くにある「山の神」の標にお神酒を捧げて手を合わせるのは、マタギ猟のさまざまなしきたりが緩和されつつある近年でも、欠かしてはならない儀式である。

 現代の巻き狩り猟は、従来のように勢子(せこ)を配して獲物を追い込む形ではない。時代は、スコープを装着した射程300mを超えるライフル銃と、トランシーバーと双眼鏡による近代戦といってもよい。熊をどう追い込み、どう仕留めるかの臨機応変の対応は、父や祖父や歴代の親方たちから伝えられたものだ。そのなかには、マタギならではの危機管理術も含まれる。昼飯を半分しか食わず、残りは安全圏に下ったときに食べるという習慣などは、ほんの一例にすぎない。

 獲れても獲れなくても、早く山を下りても、それが深夜になろうとも、マタギ小屋であらためて解体をしてから、熊鍋を囲んで反省会が開かれる。むろん、反省会という名の宴会である。それはまるで梁山泊もかくやと思えるほどの熱気であった。







 朝日連峰を自在に駆けめぐって春熊を追う五味沢マタギだが、近年になって、憂うべき事態が起こっている。熊の山里への大量出没という側面もあるが、野生動物を保護しようとする観点から、春熊猟を禁止すべきではないかという声があることだ。

 熊が棲むということは、山の豊かさの証明である。しかし、その麓では、豊かさが生み出した熊の脅威と戦い続けた歴史があった。山里の作物を荒らし、ミツバチの巣を狙い、ときには人々を襲って危害を加える熊から生命と暮らしを護るために編み出されたがの、春熊猟という伝統の狩猟形態である。その熊を、雪国の人々は山の幸として用いたのだ。

 あまり知られていないが、山形県は全国に先駆けてツキノワグマの生息数の調査を行った県である。そしてその調査を、熊の生態に詳しい小国のマタギたちに委託したのは、先見の明であった。小国の春熊猟は、予察駆除と呼ばれる害獣駆除の一環である。予察駆除は、あらかじめ害をもたらすであろう熊の頭数を予測して捕殺するのだが、その害獣駆除という呼び名が、換金目的だとか残酷だとの批判に繋がるのだろう。



 けれどマタギたちは動じない。彼らは伝えられこのゆきたままに、小国の山々の熊という資源を持続的に利用し、山里を守るために猟を行っているだけだ。その根拠として、毎年七頭ほど捕殺するが、熊は増えてもいないし減ってもいないという現実がある。

 ことは人間と熊という、単純な図式では語れない。熊を育てる山や森があり、そこに人々の営みが介在し、両者が相乗しあって構築してきた山里の文化がある。何世代にもわたって熊を撃ち続けるということは、すなわち自然を壊さずに永続的に山と付き合う技を引き継いでいくということでもある。里に近づく熊さえも撃つなという声は、山を知らず、山里の暮らしを知らない野生動物保護論者の主張なのだと思う。

 むしろ憂うべきは、ひと昔前は、各家に銃があり、百人を超えていたマタギ集団が、いまでは30人を割っているという現実だろう。このままでは、熊よりも先にマタギたちが滅んでしまうかもしれない。もしそうなってしまったら、熊の生態を詳しく知る集団は消滅する。この豊かな森に畏敬の念をもって接してきた地元衆の伝統が消えることは、よくよく考えれば熊にとっても不幸なことなのではないだろうか。



 山里に住む人々が、山に背を向けるようになって久しい。生活の場は変わらないとしても、暮らしのために分け入らなくなった山がそこにあり、林道だけが奥へ奥へと延びていく。それは山の恵みと里の人々が豊かに共存していた時代とは、異質のものだ。その歪んでしまった空間から、熊が里に迷い出てくる。

 それでも、マタギたちが熊との関係を持っているうちはまだいいが、やがて彼らが滅んだとき、山と里の断絶がさらに深まる。山と里の乖離が深まったとき、そこに待っているのが荒廃という名の共倒れだとしたら、あまりに悲しい。

 私には、銃を手にして山中を駆ける五味沢マタギたちが、変貌しようとする山里の暮らしを護るために、孤軍奮闘しているように思えてならないのである。彼らは、山を畏れ森の恵みに感謝するという、山里の精神文化の、最後の伝承者たちかもしれない。














出典:岳人 2014年 12月号 [雑誌]
山形県小国町 五味沢マタギ「熊が目覚める早春の山へ」




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