2014年11月18日火曜日

証言:御嶽山、噴火の現場




話:山岳写真家 津野祐次さん


どこにいたかが、生死を分ける分岐点だった。


 御嶽山(おんたけさん)撮影のため、9月27日朝6時ごろ伊那市を出発しました。まず、御嶽山の遠望を撮影するために開田高原の地蔵峠展望台に行きました。御嶽山の山頂部は雲の覆われていたのですが、あとから「あれは噴火の予兆だったのか」と思ったのは、剣ヶ峰付近だけが晴れていて太陽光が差していたことです。

 その後、御岳ロープウェイの山麓駅へ行くと、駐車場はすでにいっぱいでした。ロープウェイには8時10分か15分ごろ乗りました。飯森高原駅からのんびり登り、八合目の女人堂に10時20分着。御嶽山でこれほど多くの登山者を見たのは初めてでした。

 八合目半あたりで雲とガスが抜けて晴れ渡り、紅葉に彩られた山肌と青空が現れました。ガスは時間とともに上昇し、上部は雲の閉ざされることが多いですから、通常はあり得ない光景なんですよ。そのときは「近年の異常気象のせいで晴れたのか」と思い、好天のチャンスに感謝しました。「地熱が上がって山頂上部の気温も上がり、山麓から上昇してきた暖かく湿った空気が飽和され、青空が現れた」とは、考えもしませんでした。

 その先、九合目に向かう途中で地下水が流れるような音が聞こえ、卵の腐ったような臭いもしてきました。噴火の予兆ともいえる異変に、このとき気づくべきでしたよね。


剣ヶ峰直下で噴火に遭遇


 稜線に出て剣ヶ峰へ登る途中で、前方にもくもくと雲が湧き上がったかと思うと、生き物のように激しく上下しながら広がりました。「入道雲にしてはおかしいな」と思いました。そして不謹慎ですが「とても美しい」と感じました。それで思わず写真を撮ったんですが、撮った瞬間、花火のような爆発音がして噴火だと気づきました。周りにいた登山者は「噴火だー」「走れー」などと言いながら逃げ始めましたが、ザックからカメラを出して写真を撮ろうとしている人もいましたね。僕も写真をもう一枚撮って逃げました。

 あとで写真を見たら、噴火時、目視できる範囲には約60人の登山者が確認できました。皆さん、どうすれば自分の身を守れるかを瞬時に考えて行動したはずですので、まずは近くにある山小屋に向かった方が多かったと思います。御嶽頂上山荘に向かう人も写っていました。僕は少しでも遠くへ行かなければと思い、覚明堂に向かいました。

 尾根上は道幅が広いので走りましたが、ニノ池コースが合流して覚明堂に下る道は、狭いうえに登山者が殺到したため渋滞していました。僕がすごいと思ったのは、渋滞中に「子どもを先に」とか「つまづかないで」とか、皆さん、特に女性がほかの人を気遣う言葉をかけ合っていたことです。われ先に、という人はいませんでした。

 ちょうど覚明堂に入っていく道まで下りたところで噴煙に追いつかれました。周りにいた人の大半は覚明堂に避難したようですが、僕はもっと下に行ったほうがいいと思い、再び走って下りました。だけど30mほど下ったところで完全に黒煙に包まれ、岩につまずきました。それがちょうど九合目にある大きな石柱の前でした。ああいう漆黒の闇を経験したのは、僕は初めてです。自分の手さえ見えませんでした。仕方なくその場でしゃがみ込み、Tシャツの裾で口と鼻を覆いました。

 そのままの体勢で10分ぐらいじっとしていると、目が暗闇に慣れてきて、周囲も若干明るくなったので立ち上がりました。2、3歩歩いたら、男の人がうずくまっていたので「大丈夫ですか」と声をかけたら、「はい」と答えました。「ああ、よかった」と思ってさらに数歩進むと、下から男性が登ってきて、「子どもを見かけませんでしたか」と聞かれました。「いや、僕は気がつきませんでした」と言うと、彼はそのまま登っていきました。その男性を見送った瞬間、再び噴煙に覆われて真っ暗になったので、先ほどのようにもう一度しゃがみました。暗闇の中でしゃがんでいたのは、トータルで20分ほどでした。

 その間は、小さな噴石が体に当たって全身が痛かったです。バラバラと当たるのではなく、滝に打たれるような当たり方でしたね。2回目は1回目よりも少し大きな噴石、なかには5cmぐらいの大きさのものも飛んできました。焼け死ぬほどではないけど、かなり熱い熱風も吹いてきましたし。かと思うと、逆側から扇風機のような涼しい風が吹いてくることもありました。

 いちばん不安だったのは、熱風ではなく、「バシャーン」「バチーン」という音があちこちでして、そのたびん稲妻みたいな光が走ったことです。しゃがみ込んで目をつぶっていて、足元が明るくなるのはわかりました。僕は雷が鳴っているのかと思っていたけど、あとで聞いた話では「大きな噴石同士がぶつかり合って火花が散っていたんじゃないか」と言う人もいましたね。

 大きな石が落ちていく「ガラーン、ガラーン」という音もしていたので、いつ自分に当たるのかと。2回目にしゃがんだときは「もうダメだな」と思いました。それが10秒後なのか5分後なのかはわからないけど、確実に俺はやられるなと思いました。背負っていたザックを頭のほうにずらして頭部をガードしようとも思いましたが、そうすると口と鼻を押さえられないから、火山灰が口の中に入って息ができなくなります。ならば、酸欠になってもがき苦しむよりは、石が当たって一瞬で死ぬほうが楽だと思い、口と鼻をガードするほうを選びました。

 しばらくすると再び周囲が明るくなってきました。積もった火山灰は約30cm。あたりは一面、鉛色の世界と化していました。約2m間隔で立っていた登山道脇のポールは、頭が5cmぐらい出ている程度で、張ってあるロープの弛んだところは灰に埋もれていました。それを見て、「ロープが見えている今なら下っていける。時間がたってもっと灰が積もると下れなくなるぞ」と思ったときに、下の石室山荘で誰かが懐中電灯を振っているのが目に入りました。上に向かって合図を送ってくれたので、「とにかくあそこへ行こう」と思って一直線に駆け下っていきました。

 石室山荘に着いて「中に入ってもいいですか」と声をかけると、「どうぞ、どうぞ、大変でしたね」と言って迎え入れてくれました。中ではオーナーらしき人が、避難してきた登山者にタオルを配っていました。奥さんらしき人も「飲んでください」と言ってペットボトルの水を配り始めました。従業員の人たちが土間じゃないところにブルーシートを敷き、「靴を履いたままでいいですから、上がって休んでください」と声をかけていました。その献身的な対応を見て、すばらしいなあと思いましたね。登山者の皆さんも冷静でした。

 僕は少しでも早く下ろうと思っていたので、口元と鼻を覆うようにタオルで縛り、入口付近にいました。5分ぐらいすると外が明るくなったので、「いま行かなきゃ」と思い、外に飛び出しました。八合目の女人堂の前では、顔が火山灰まみれの登山者8人ほどが、「無事でよかったね」と喜び合っていました。そのときは上でたくさんの犠牲者が出ていることはわかっていません。ロープウェイの飯森高原駅に着いたのが14時。このあたりの降灰は3cmぐらいでしたかね。ロープウェイはやっぱり止まっていました。


生死を分けたもの


 振り返って思うのは、噴火のときどこにいたかが生死を分けたということです。僕は運よくちょっと離れたところにいたから助かったんでしょう。王滝口コースの、王滝頂上と剣ヶ峰の間にいた人は、噴石も大きく、降灰量も圧倒的に多かったはずですから本当に大変だったと思いますよ。

 僕自身への戒めの言葉があるとしたら、何か異変に気づいたら、迷わず一気に引き返すということです。また、火山に登るときはヘルメットぐらい持っていかなければ、と思いました。

 今回の噴火でケガをされた方が、一日も早く完治されることを願っています。尊い命を落とされた方には、心より追悼の誠を捧げます。







(了)






出典:山と溪谷 2014年12月号
御嶽山噴火で知っておきたい「火山」とのつきあい方



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