2014年11月2日日曜日

アルプス登攀史、最初のヒーロー [ママリー]





 当時(19世紀)のアルプス登山は、地元のガイドを雇い、客となって登るのが普通だった。岩と氷河を攀じる技術において、アマチュアはプロのガイドに遠く及ばなかったからだ。ところが、ガイドより腕のたつ男が、ドーバー海峡を渡ってアルプスに乗り込んで来た。それがママリーだ。

「…彼はひょろっと背が高く、かかしのようにやせており、まるで背骨にどこか欠陥があるみたいに両肩をすぼめていた。おまけにとりわけ悪いことにひどい近眼で、ごく易しい氷河の上さえ、つまずいたりスリップしたりする始末だったのである(『アルプスは再び征服された 』)」

 この優男は、屈強なふたりのクライマーを引き連れていた。一見、金持ちのボンボンがベテラン頼みで登山家を気取っている図に見えるが、さにあらず。3人の中でママリーが最も岩登りが上手かった。彼がいれば登れるが、彼抜きには登れない壁に挑むということだ。目指すエギーユ・デュ・プラン北壁はガイドたちの暮す村からよく見える。シャモニは大騒ぎになった。

 結局この登攀は失敗する。そして絶体絶命の敗退行で、死に直面したふたりのパートナーを無事シャモニまで降ろしたのは、優男のママリーだった。1892年6月12日、アルプスの登攀史に、最初のヒーローが誕生した瞬間である。

「ママリーは、その後二度とプランの北壁を訪れようとはしなかった。翌年彼は、この山の西壁に困難な新ルートを拓いて、そのよく見通しのきく地点から、前の年の偉大なる敗退の舞台を眺めることができた。彼は何度もわが身に問いかけてみた。もしカアがあんなに参ってしまわなかったら、もしもっと食糧や暖かい衣類を持っていたら、あるいは頂上をかちとれたのではなかったか、と。この物すごい北壁をアタックするには、ママリーはあまりにも時代に先がけすぎたのではなかったか? なにしろこの壁がついに征服されるまでに、それからまだ32年の歳月を必要としたのだから!(『アルプスは再び征服された』)

 クライミングの黎明期に、突然現れ、消えて逝った天才クライマー、アルバート・フレデリック・ママリー。









出典:岳人 2014年 11月号 [雑誌]
クライマーのための古書ガイド『アルプスは再び征服された (1976年) (森林選書)



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