2014年10月9日木曜日
山に消されるもの [服部文祥]
〜服部文祥「南アルプス・大井川池ノ沢」より(抜粋引用)〜
20年前に初めてここ大井川源流域を訪れたとき、私は生々しい開発の痕跡に顔をしかめていた。だが今は違う。人間の欲と蛮行の残骸を、南アルプスの自然が時間の力を借りて覆い尽くし、森の一部へと塗りつぶしているからだ。ケモノ道や古道は森にひっそりつづいているのに、車道やプレハブ小屋は崩れ落ちて自然に飲み込まれていく。時間が止まったような森の中につづく古道、朽ち果てた林業小屋。不自然なものは山に消されていく。
上の息子が山に行きたいと言い出し、ならば人間社会の保護から離れた感覚を得られる山旅をしたいと思った。そして私たちは大井川の真ん中へ出発した。私はいつものように電気製品をもたず、食料も米と調味料だけ、宿泊はタープというサバイバル・スタイルだ。だが息子は時計、ヘッドランプ、携帯ゲーム機まで持っている。初日のおかずは内河内川沿いで捕獲したジムグリ(ヘビ)。古い機械油のような臭いを出す臭腺をもつが、肉に臭みはない。
未整備の林道はカラ松の若木に覆われ、鹿が踏んでいるところだけに道が残る。いよいよ人間社会の管理が及ばない環境に入っていく。一歩ごとに山奥に踏み込む感覚が強まり、同時に社会のしがらみや約束事から解放されていく。自分の命が自分のものになって戻ってくるこの瞬間が私は好きだ。自分の命は自分で保つ、誰の手助けも受けないかわりに、野生動物のように自由に振る舞う。これこそが登山最大の魅力なのではないかと最近は思うほどだ。
実はこの旅で、池ノ沢の「池」をもう一度見たいと思っていた。10年前に訪れたときに見た、エメラルドグリーンの水をたたえた妖精の棲家が、美しい記憶となって脳裏にこびりついていたからだ。池ノ沢出合の草原にタープを張り、せかされるように池ノ沢を詰め上がった。古い記憶を頼るように右岸をたどって高度をあげた。雨が降りだし、不安を振り払うように先をいそいだ。そこからひと頑張りで池ノ沢の池に出た。
「あれ?」が正直な第一印象だった。妖精が棲むはずのエメラルドグリーンの水は土砂に埋まり、その神秘性までが埋まってしまったようだった。記憶に残る美しさは、意識して探さなければならなかった。無理を言って連れてきた息子は、タープで寝てればよかったという顔をしている。数枚の写真をとって、池ノ沢を下った。
「いや、面白かったよ。うん」
天気に恵まれなかった山旅を嘆く父親に、そう息子は言うのだった。
…
出典:岳人 2014年 10月号 [雑誌]
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