〜山岳書クラシックス「ザイル仲間の二十年 (1977年)」より(抜粋引用)〜
ロベール・パラゴと聞いてピンと来る人は、相当なクライマーだ。日本での知名度は格段に低い。なんたって彼はアマチュア・クライマーだ。パリ市役所に勤める公務員。有給休暇しか山に行けない身の上で、アルプスの大岩壁だけでなく、アコンカグア南壁、ワスカラン北壁の初登攀、ジャヌー、マカルーにも登頂している。そして生涯アマチュアを貫いた。
一方、共著のリュシャン・ベラルディニを知っている人はさらに少ないだろう。生来の風来坊で定職に就かず、酒と女と腕っぷしでは誰にも負けない、ちょっとピカレスクなクライミング・ヒーローだった。
「リュシャンの頑丈なこぶしで、クラック深く精いっぱい打ち込まれたしぶといピトンを引っこ抜く。その瞬間、私は読みとった。誰からも”気違い”呼ばわりされているこの男は、じつは人間の中で最も正常な男なのだ。山でピトンを打ち込むとき、この男はこれほど真剣に自分の生命を守っている。このピトンなら乳牛一頭はおろか、牛小屋だって確保しかねない」
この本の最終章で彼は、その登山歴を振り返りながら自らに問う。
「なぜ山を?」
パゴラの答えは、皮肉屋のイギリス人が嘯(うそぶ)いた「そこにあるからだ」とはまったく違う。
「おそらく友情であろう」
クライミングにおける友情とは、パートナーの打ったハーケンを信じられるかどうかだ、とパゴラは言う。しかし登攀史において友情ほど厄介なテーマはない。クライマーという自意識過剰な人種は、心情的に孤立することが多い。本質では友情を希求しているにもかかわらず、あえて孤高、夭折を辞さない。群れるのは弱い奴だ、そんな美学がひとかどのクライマーには求められる。なぜなら極限の登攀を求道するなら、ペアよりソロの方が価値あるからだ。偉大なソロ・クライマーに比べ、優れたペアは希少だ。
そんな友情を捨てたような男たちが幅を利かせている登攀史の世界で、少年のような愚直さで紡がれた1本のザイル。その両端にロベールとリュシャンがいる。
ソース:岳人 2014年 10月号 [雑誌]
0 件のコメント:
コメントを投稿