2014年10月10日金曜日

夏こそ出番、象潟のイワガキ。 [畠山重篤]




〜畠山重篤「山と海の出逢い」より(抜粋引用)〜


 出羽富士「鳥海山(ちょうかいさん)」は姿のいいきれいな山だ。最高峰は新山で標高2,236m、古くから山岳信仰の対象とされ、山頂に大物忌(おおものいみ)神社がある。

 イワガキを採っている漁師仲間から、興味ある話を聞いた。イワガキ漁は素潜りで行なわれるのだが、その漁場は「鳥海山の影が海にうつる範囲」に限られているというのだ。じっさい潜ってみると海底から伏流水が湧き上がっていて、その近くの岩礁にイワガキが育っているという。海辺を歩いてみても、そこここから伏流水がほとばしっている光景が見られる。鳥海山のブナ林の腐葉土がスポンジの役目をはたし、雪解け水を地下に浸透させているのである。


 


 鳥海山の標高700mくらいからブナ林が広がっている。樹齢100年のブナには葉が約30万枚ついていて、毎年落ちる。「ブナ一石、水一斗」という例えがあり、水を蓄える木なのだ。イワガキの餌は主に植物プランクトンであるが、海の水だけではイワガキの漁場は形成されない。森の腐葉土中の養分が海に注ぎ、汽水域が形成されるからイワガキの漁場となるのである。また伏流水は水温の上昇を抑え、イワガキの産卵を抑制する。だから夏に食べても旨いということになる。秋田県の象潟(きさかた)では、イワガキの旬は夏である。

 一方、西洋には「Rシーズン」という言葉がある。Rがつかない月、5月(May)から8月(August)は牡蠣のシーズンではないという意味である。北半球では5〜8月が牡蠣の産卵期でもあり、気温・水温もあがり食中毒のおそれがあるので理に適っている。産卵期のマガキは軟体部のほとんど全部が卵になるので、ドロドロした状態になってとても食べられない。ところが、象潟のイワガキにとっては「Rシーズン(5〜8月)こそ出番」ということになる。イワガキは部分的にしか卵を形成せず、産卵も何回かに分けて行う。また旨味成分であるグリコーゲンをこの時期でもかなり蓄えているのだ。

 また、牡蠣を食べてあたる、という問題もある。昔は細菌と思われていたが、じつは真冬の最も寒い時期にあたる人が多いのだ。原因はノロウイルスであることが判ったのは最近のことである。ご存知の通り、ノロウイルスは寒い時期に繁殖するからだ。夏にイワガキを食べてあたったという話をまず聞かないのは、そのためだったのである。





 曽良の作品に次のような句がある。

 「象潟や 料理何くふ(食う) 神祭」

 元禄二年(1689)六月十八日、松尾芭蕉と弟子の曽良は、憧憬の歌枕の地、雨にけぶる象潟に着く。暑いこの季節、百日以上歩くとすると、道すがらどんな食べ物を食べたのか。牡蠣が滋養強壮の食物であることは昔から知られている。象潟の古老に聞くと、夏の御馳走はなんといってもイワガキだという。昔は長持ちさせるため縁の下に置いた。そこが最も涼しいところだからだ。客人が来るとなると、縁の下は冷蔵庫代わりとなり、山海の珍味が蓄えられていたのだ。

 だが残念ながら、奥の細道にはイワガキを食する描写はない。牡蠣の字が入った俳句はないかと私もずっと探しているのだが、いまだに見つかっていない。それは牡蠣の季語が冬だからではないか。季語を大切にする俳諧の世界で、俳聖芭蕉がそれを破るわけにはゆかなかったのだろう。














ソース:岳人 2014年 10月号 [雑誌]




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