2014年10月14日火曜日

時間を飛び越えた「無我」 [執行一利]



〜執行一利「本州分水嶺大縦走」より(抜粋引用)〜


 空から降った雨水が「太平洋」に注ぐのか、それとも「日本海」に流れ落ちるのか。水系を太平洋側と日本海側に分つのが、日本の背骨ともいうべき「本州分水嶺」。全長2,000kmを超える「道なき道」。


 私が分水嶺縦走を思いついたのは、関東地方州境一周歩きを目指していたことに関係がある。湯河原(神奈川県と静岡県の県境)から北上し、山行日数延べ85日、およそ6年をかけてすべての区間を歩き、1985年6月に鵜ノ子岬(茨城・福島の県境終了点)まで踏破することができた。

 長年の目標を達成することができた感慨もひとしおであったが、目標を達成するということは、逆にいえば「目標がなくなる」ということでもある。目標を亡くして、しばらくは山に対する情熱を失ったまま漫然と過ごしていたが、そのとき、ふと地図をながめていて閃いたのが、本州の分水嶺山脈(脊梁山脈)の全山リレー縦走であった。

 北は青森県から、南は山口県まで、太平洋側と日本海側を分ける大分水嶺山脈は、全長2,000kmという長大なスケールである。しかもルート上の大部分には登山道がない。これをすべて歩こうというのは、はたして一生かかっても完遂できるかどうかわからない大計画であるが、やってみる価値はあると思ったのである。ライフワークとして取り組むには、まことに希有壮大で、できるかできないか分からないところが、なんともまた良い。


 いま振り返ると、途中であきらめないで全行程を踏破できたことが、自分でも不思議でしかたがない。ヤブこぎは辛くて、あまりの苦しさに泣きたくなるときが何度もあった。しかし、いつの頃かわからないが、私のなかで分水嶺歩きは一種の「修行」のようなものへと変化していったような気がする。日本には山岳修験道が1,000年以上前から存在する。修行のために山へ入る、というスタイルはずいぶん昔から脈々と人々の精神のなかに埋め込まれてきたようである。

 私は修験道を体験したり、あるいは勉強したりしたわけではない。しかし何となくその精神は私のなかにも知らず知らずに深く埋め込まれていたような気がする。ヤブこぎをしていると、いつの間にか気がつかないうちに、何も考えず無意識に黙々と手足を動かし続けている瞬間がある。ハッと我に帰るのだが、自分が何も意識せず何も考えずに、数分か数十分かわからないが「時間を飛び越えていた」ことに気づくのである。もしこのような状態を「無我の境地」というのであれば、まさしく私はそんな感覚の鱗片を体験することになったわけだ。残念ながら私は凡人なので、この感覚も山から下りてくれば元の木阿弥で、普段の生活には役に立たなかったが…。


 ヤブこぎでは散々苦労したが、不思議な体験もあった。紹介したいのは中国山地(山口県)の野道山だろう。吉和冠山から縦走して5日目、野道山に向けてササヤブの尾根を必死でヤブこぎしているときだった。

 いきなり遥か下のほうから「ボーーッ」という腹にしみわたるような、なんだか物悲しいような音が聞こえてきた。最初は不意打ちを食らって何の音なのかまったく分からなかった。そちらの方を見ても、ヤブに隠れて何も見えない。そのときもう一度、少し違う場所から同じ音が聞こえた。気を取り直して思い返し、ようやくそれがSLの汽笛の音であることを認識できた。そうか、下にはJR山口線の線路が走っている。そこを今、蒸気機関車が通過しているのだ。まさか山の中で、しかも登山道もない密ヤブの中で汽笛の音を聞くとは夢にも思わなかったので、脳がこの体験を正しく認めることができなかったのだ。

 このとき経験した感覚を文字にすることは不可能である。耳から入ってくる情報を推測・判断する脳の働きについてのあやふやさのことなのだろうか、今まで体験したことのない感覚、決していやな感覚ではなく、うれしい感覚だった。









ソース:山と溪谷 2014年9月号




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