2015年5月14日木曜日
屋久島の「岳参り」 [高桑信一]
話:高桑信一
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渓谷を囲む屋久島の深い森を、低空から舐めるようにせり上がっていくヘリコプターで撮った映像だった。
その迫力もさることながら、私が目を奪われたのは、その森を縫うようにして登る「豆粒のごとき2人の登山者」だった。まるで修験者のような身なりをした彼らは、ナレーションによれば「岳参り(だけまいり)」の登山者なのだという。
古くから全国に偏在した岳参りの風習は、成人への通過儀礼であり、五穀豊穣の祈りと感謝であり、山の神を田の神として勧請するために行われてきたのだが、いずれにしてもそれは山を神の棲み処として崇め、信仰の対象としてきたのであった。
いまではほとんどが絶えて、探し出すのも覚束ない岳参りの風習が、屋久島に残されているという事実が私を驚かせ、たかぶらせた。むろん屋久島の岳参りにしても風前の灯火に違いあるまいが、岳参りは後世に伝えるべき掛け替えのない遺産である。
栗生岳でも宮之浦岳でも永田岳でも、苔むした小さな祠を見つけた。その存在を知らずに登山道を歩くだけでは、決して見つけられない祠である。山頂の岩の割れ目の奥に、隠されたようにひっそりと安置されたそれらの祠は、いずれも栗生や宮之浦や永田集落の守り神であった。
屋久島では、畑を拓き樹木を伐採し、山菜を採る暮らしのための山を「前岳」と呼び、その後方に聳える高山を神の棲む「奥岳」と崇めて岳参りを重ねてきた。集落からは海岸の砂や米や焼酎を携えて神に供え、奥岳からはシャクナゲやアセビの小枝を海辺の集落に持ち帰った。それは海と山の欠くべからざる連鎖の証であり、山の神と海辺の民との、抜きがたい交感のかたちである。
年に2回行われながら、時代の波に押されて消滅の一途をたどっていた岳参りの風習が、近年になって復活が図られ、屋久島の24の集落のうち、21の集落でふたたび行われるようになったという。むろん、その背景には世界遺産への登録による来島者の増加がある。それにせよ、その復活を素直に喜びたいと思う。
引用:岳人 2015年 06 月号 [雑誌]
高桑信一「原生の森に埋もれる島へ 屋久杉をめぐる山旅」
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