山に10日
海に10日
野に10日
そうした暮しが屋久島には伝えられてきたという。
山で獣を追い、海に魚を求め、荒地を開墾して作物をそだてる。
「ですから、島の暮しの底には諦観があるわけです。どうやっても自然には敵わない。島で暮らすということは、いいもの、わるいもの、『すべて受け入れること』なんです」
島に暮しつづける長井三郎さんは、そう言って微笑む。
「森に入ると、大きな木に出会います。すると、その大きさに圧倒されるんですよ。静かに、ずっと見上げていると、人間の小ささみたいなものが身に染みてきます。そして足元には、もっと小さなミツバチが飛んでいる」
大きな木、人間、小さな虫
自然の中では、それぞれの「分」がある。
分を知り、分をわきまえる。
それは小さくなるというよりはむしろ、大きくなるためだ。
「東京に出なければ、島の本当の姿に気がつかなかったかもしれません」
そう言って、長井さんは二カッと笑う。
「人は、帰るために外に出るのかもしれませんね。日常に帰るために旅にでる。そこに意味があるのかもしれません」
ソース:
山と溪谷2015年3月号 特集「一人前の登山者になるためのセルフレスキュー講座」
長井三郎「屋久島発 晴耕雨読」
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