2015年5月19日火曜日
木枯と笑い茸 [若山牧水]
話:若山牧水
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夕方から凄まじい木枯が吹き出した。宿屋の新築の別館の二階に我らは陣取ったのであったが、たびたびその二階の揺れるのを感じた。
隙間洩(も)る木枯の風寒くして酒の匂ひぞ部屋に揺れたつ
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夜っぴての木枯であった。皆よく眠っていた。わたしは端で窓の下、それからずらりと五人の床が並んでいるのである。その木枯が今朝までも吹き通していたのである。そして木の葉ばかりを吹きつける雨戸の音でないと思うて聴いていたのであったが、果たして細かな雨まで降っていた。
午前中をば膝せり合せて炬燵(こたつ)に齧りついて過した。昼すぎ、風はいよいよひどいが、雨はあがった。他の四君は茸(きのこ)とりにとて出かけ、わたしは今日どうしても松本まで帰らねばならぬという高橋君を送って湖畔を歩いた。ひどい風であり、ひどい落ち葉である。別れてゆく友のうしろ姿など忽(たちま)ち落葉の渦に包まれてしまった。
はるけくも昇りたるかな木枯にうづまきのぼる落葉の渦は
茸は不漁であったらしいが、何処からか彼らは青首の鴨を見附けて来た。山の芋をも提(さ)げて来た。善哉(ぜんざい)々々と今宵も早く戸をしめて円陣を作った。宵かけてまた時雨(しぐれ)、風もいよいよ烈(はげ)しい。
どうした調子のはずみであったか、我も知らずひとにも解らぬが、ふとした事から我らは一斉に笑い出した。 甲笑い乙応じ、丙丁戌みな一緒になって笑いくずれたのである。それが僅かの時間でなく、絶えつ続きつ一時間以上も笑い続けたであろう。あまり笑うので女中が見に来て笑いこけ、それを叱りに来た内儀までが廊下に突っ伏して笑いころがるという始末であった。たべた茸の中に笑い茸でも混っていたのかしれない。
ひと言を誰かいふただち可笑(おか)しさのたねとなりゆく今宵のまどゐ
木枯の吹くぞと一人たまたまに耳をたつるも可笑しき今宵
笑ひこけて臍(へそ)の痛むと一人いふわれも痛むと泣きつつぞ言ふ
笑ひ泣く鼻のへこみのふくらみの可笑しいかなやとてみな笑ひ泣く
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相も変らぬ凄(すさま)じい木枯である。宿の二階から見ていると湖の岸の森から吹きあげた落葉は凄じい渦を作って忽(たちま)ちにこの小さな湖を掩(おお)い、水面をかくしてしまうのである。それに混って折々樫鳥(かしどり)までが吹き飛ばされて来た。そしてたまたま風が止(や)んだと見ると湖水の面(おもて)にはいちめんに真新しい黄色の落葉が散らばり浮いているのであった。落葉は楢(なら)が多かった。
木枯の過ぎぬあとの湖をまひ渡る鳥は樫鳥かあはれ
声ばかり鋭き鳥の樫鳥ののろのろまひて風に吹かるる
樫鳥の羽根の下羽の濃むらさき風に吹かれて見えたるあはれ
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引用:若山牧水『新編 みなかみ紀行 (岩波文庫)』木枯紀行
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