2015年5月20日水曜日

何とかという蔓と何とかという木 [若山牧水]



話:若山牧水




「ホラ、彼処(あそこ)にちょっぴり青いものが見ゆるずら…」

 老案内者は突然語り出した。指された遥かの渓間には、渓間だけに雑木もあると見え、色濃く紅葉していた。その紅葉の寒げに続いている渓間のひと所に、なるほど、ちょっぴり青いものが見えていた。

「あれは中津川村の大根畑だ」

 と老爺はうなずいて、其処(そこ)の伝説を語った。こうした深い渓間だけに、初め其処に人の住んでいる事を世間は知らなかった。ところが折々この渓奥から椀のかけらや、 箭(や)の折れたのが流れ出して来る。サテは豊臣の残党でも隠れひそんでいるのであろうと、丁度(ちょうど)江戸幕府の初めの頃で、所の代官が討手(うつて)に向うた。そして其処の何十人かの男女を何とかという蔓(かずら)で、何とかという木にくくってしまった。そして段々検(しら)べてみると同じ残党でも鎌倉の落武者の後である事が解って、蔓を解いた。其処の土民はそれ以来その蔓とその木とを恨み、一切この渓間より根を断つべしと念じた。そして今では一本としてその木とその蔓とを其処に見出せないのだそうである。





引用:若山牧水『新編 みなかみ紀行 (岩波文庫)




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