2015年4月24日金曜日
「どこまでやろうか?」 [服部文祥]
20kgの荷物を8時間運び、1日400円の給料。
そんな「パキスタンのポーターたち」を見ているうちに、服部文祥の頭の中は疑問でいっぱいになった。
物資に囲まれた生活をする者が、経済格差を利用して荷物を持ち上げてもらい、わざわざ高峰に登る意味はあるのだろうか?
ポーターたちの方がよっぽどタフで、サバイブする能力があるのではないか?
かくして服部は「サバイバル登山家」になった。
装備に頼らず、食料や燃料を現地調達しながら、道なき道を自力でゆく。
テントも時計もライトも持たず、マッチやライターさえも持ちたくない。
マムシとシマヘビはおいしい。ヤマカガシは苦味があり、アオダイショウは生臭い。
キノコはヒラタケとナラタケを覚えるべき。
イワナを手づかみで捕まえるときは軍手をすると滑らない。
屋外で寝るときは、ステンレスの茶こしを使って蚊を防ぐ。
著書『サバイバル登山入門』には、そんな「野で生きる技」が披露されている。
自身がどこまで独力でできて、どこからが生かされているのか?
「どれくらいできるのか?」ではなく
「どこまでやろうか」と考えること
ソース:Number(ナンバー)870号 二十歳のころ。 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
幅允孝「新刊ワンショット時評」
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山に消されるもの [服部文祥]
2015年4月13日月曜日
ブーツ革命! [ARC'TERYX]
アウトドアに数々の革命を起こしてきた
アークテリクス(ARC'TERYX)
”この春一番のニュースといえば、あのアークテリクスがブーツに参入したことだろう(BE-PAL)”
なんと、スキーブーツのようにインナーの取り外しが可能。
シリーズのトップエンドモデル、BORAには2種類のインナーライナーが装着可能。夏には速乾性タイプ、冬には保温タイプと季節を股にかけることができる。
”履いてみてもっとも驚いたのは、インナーライナーを別体構造にしたことによる高いフィット感だ。靴を履いているというよりも、分厚く柔らかい足袋を履いていて、その上をカバーされている感覚(BE-PAL)”
内外を別構造にした最大のメリットは、タン(ベロ)を省けたこと。
”僕の足は甲高なのだが、タンがないから甲が圧迫されず、とても楽(BE-PAL)”
さらに別体構造のおかげで、内部の空気循環が向上。シューズ内にこもりがちな熱気と湿気が歩くたびに排出されていく。
”じつはテスト中にドシャ降りの雨に見舞われ、インナーとアッパーの隙間にかなりの雨が侵入してきたのだが、歩くたびにサイドのメッシュから排出され、危惧していたような「水靴状態」にはならなかった。これには驚いた(BE-PAL)”
ラインナップは4種類あり、インナーが取り外せるものと、取り外せないものがある。
”着脱ができるモデルは脱ぎ履きはしづらいが、インナーを取り外して乾かしたり、洗濯できる点が便利だった(BE-PAL)”
(了)
ソース:BE-PAL(ビ-パル) 2015年 05 月号 [雑誌]
「ARC'TERYXが放つ新世代ブーツ」
インナーライナーがフィット感に革命を起こした
2015年4月12日日曜日
マッターホルン初登頂 [エドワード・ウィンパー]
スイスの名峰
マッターホルン(Matterhorn)
美しいピラミッド型のこの山は、標高が4,478mもありながら、ほとんど雪が積もらない。というのも、4つの斜面があまりにも急激に落ち込んでいるため、たとえ雪が降ってもすぐに斜面を雪崩てしまうからだ。
そんな激斜面を登ろうとした男たちがいた。
イギリスの登山家、エドワード・ウィンパー率いる7人の男たちである。それは今から1世紀も前、19世紀後半のことだった。
『現代のような軽量かつコンパクトな登攀道具などない。当時の様子を描いたデッサンをみると、衣類は重そうなコートやテーラージャケット。ザイルは当然、麻製で太さが13mmもあった。いったい、どんなに重たい装備をかついで登ったことか…。その過酷さには想像を絶するものがある(BE-PAL)』
ウィンパーら7人は、8度までマッターホルンの切り立った岩壁に、その行く手を阻まれた。
そして9度目。ついに成功する。歴史に刻まれるマッターホルン初登頂。1865年のことである。
しかし歓喜もつかの間。下山をはじめた直後に、7人中の4人が岩壁から滑落して死んでしまう。
懸命の捜索むなしく、ついに一人の遺体は発見されなかった。そのほか3人の遺体は現在、スイス・ツェルマットにある墓地に丁重に葬られている。
”ヨーロッパ登山界において、マッターホルンの初登頂というのは特別な意味をもつ。単に一つの山が初めて登られたのではない。この登頂によって『アルピニズム』と呼ばれる近代登山が確立したからだ(PEAKS)”
アルピニズムとは?
”それまでの登山には、なんらかの目的があった。それは宗教上の理由であったり狩猟であったり、いずれにしろ山に登ることは手段であって目的ではなかった。それに対して、登ること自体を目的としたのがアルピニズムと呼ばれるものだ(PEAKS)”
19世紀の中盤から盛んになった、このアルピニズム。その最後の難課題とされたのが「マッターホルンの登頂」だったのだ。
ちなみに日本人でマッターホルンを登頂成功したのは
1965年、芳野満彦と渡部恒明が北壁を日本人として初登攀。
1977年、長谷川恒男が冬期北壁を単独で初登攀している。
ソース;BE-PAL(ビ-パル) 2015年 05 月号 [雑誌]
スイスの名峰・マッターホルン研究
誇りをもって馬鹿をやる [笹本稜平]
話:笹本稜平
…
「いまどきの若い奴でヒマラヤに行こうなんて考えるのは、言ってみれば希少品種なのかもしれませんよ」
似たような思いを抱いていたのか、木塚が唐突に言う。立原は頷いて言った。
「そういう奴がいなくなると、世界がつまらなくなるよな」
「金にもならない。世間がそれほど注目してくれるわけでもない。そのうえ命まで失いかねない。そんなことに夢中になれる馬鹿がいるから、逆に世の中は正気を保っていられるんじゃないですか」
「面白い理屈だ」
「合理主義なんて結局、損得勘定の裏返しじゃないですか。それももちろん大事だけど、世界がそれだけになっちゃったら、人間は欲得の使い走りになっちまう」
「そうかもしれないな。合理主義の観点からは無駄でしかないことが、人類にとっては心の栄養になるわけだ」
「マロリーやヒラリー卿のような人がいなかったら、たぶんヒマラヤなんて人類の興味の対象にもなっていなかったでしょう」
「考えてみれば、人間てのはずいぶん無駄なことに入れ込んでいるよ。極点到達にしても、宇宙に出かけていくことにしてもそうだ」
「それ自体が暮らしの役に立ったり景気をよくしたりするわけじゃない。でも、そういう無駄ごとに血道を上げることができる間は、人類も辛うじて健全でいられるんじゃないかと思うんです」
「だったら俺たちのような変人にも、多少は存在理由があるわけだ」
「そうですよ。これからも誇りをもって馬鹿をやり続けましょうよ」
明るい調子で木塚は言った。
…
ソース:笹本稜平「大岸壁」
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