2015年4月12日日曜日

誇りをもって馬鹿をやる [笹本稜平]



話:笹本稜平





「いまどきの若い奴でヒマラヤに行こうなんて考えるのは、言ってみれば希少品種なのかもしれませんよ」

 似たような思いを抱いていたのか、木塚が唐突に言う。立原は頷いて言った。

「そういう奴がいなくなると、世界がつまらなくなるよな」

「金にもならない。世間がそれほど注目してくれるわけでもない。そのうえ命まで失いかねない。そんなことに夢中になれる馬鹿がいるから、逆に世の中は正気を保っていられるんじゃないですか」

「面白い理屈だ」



「合理主義なんて結局、損得勘定の裏返しじゃないですか。それももちろん大事だけど、世界がそれだけになっちゃったら、人間は欲得の使い走りになっちまう」

「そうかもしれないな。合理主義の観点からは無駄でしかないことが、人類にとっては心の栄養になるわけだ」

「マロリーやヒラリー卿のような人がいなかったら、たぶんヒマラヤなんて人類の興味の対象にもなっていなかったでしょう」



「考えてみれば、人間てのはずいぶん無駄なことに入れ込んでいるよ。極点到達にしても、宇宙に出かけていくことにしてもそうだ」

「それ自体が暮らしの役に立ったり景気をよくしたりするわけじゃない。でも、そういう無駄ごとに血道を上げることができる間は、人類も辛うじて健全でいられるんじゃないかと思うんです」

「だったら俺たちのような変人にも、多少は存在理由があるわけだ」

「そうですよ。これからも誇りをもって馬鹿をやり続けましょうよ」

明るい調子で木塚は言った。








ソース:笹本稜平「大岸壁」



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