2016年4月20日水曜日

観光リフトが動かした県境 [蔵王]





知らなかった! 「県境」「境界線」92の不思議より



リフトの建設計画が蔵王山の県境紛争に発展

県境未定地の認識がなかった山形県と宮城県



スキーと樹氷で名高い東北の蔵王さんに、かつて県境の未定地があった。あったというより、「地元自治体が双方円満に認めていた山形と宮城の県境が、人為的に未定地にされてしまった」といったほうが正しいかもしれない。山形市にある観光業者2社が、ほぼ同時期に蔵王さんの県境付近にリフトの建設を計画したことが発端となり、県境紛争にまで発展したのである。

観光ドライブウェイの「蔵王エコーライン」が開通した翌年の1963(昭和38)年1月、山形市に本社を置く北都開発商会が、蔵王噴火口の「お釜」の見物用として観光リフトの建設計画を打ち出し、山形県を管轄する新潟陸運局に事業許可を、同じく山形営林署に国有林の貸し付けを申請した。

いっぽう翌月には、地元の有力企業である山形交通が北都開発の東側にあたる宮城県側にリフト建設を計画し、仙台陸運局と白石営林署に許可申請を出した。



ところが、あとから申請した山形交通の許可が先に下り、北都開発商会の申請はなかなか認められなかった。しかも、山形交通のリフトが申請の宮城県側から北に外れた山形県内に建設されているのを北都開発の社員が発見し、山形営林署に通報する。

そもそも、この付近における山形・宮城の県境は、刈田嶺神社への「登山道」であるというのが、地元に共通した認識だった。そして、営林署が国有林を区分して管理する境界である「林班界(りんぱんかい)も、当然この登山道に重なるものと考えられてきた。

だが、通報を受けた山形営林署は「林班界がはっきりしない」として独自に検測(図面調査)を行い、それまで県境として扱われてきた林班界は、突然登山道から外れ、大きく北に寄って線引きされた。その結果、山形県側にはみ出していたはずの山形交通リフトはすっぽり宮城県側に収まり北都開発商会のリフトは山形・宮城両県にまたがるとされたのである。



そうこうするうちに夏の観光シーズンとなり、山形交通のリフトは開通して大にぎわいとなる。業を煮やして北都開発商会はリフト建設を強行するが、これに対して山形、白石の両営林署に、営林署の言い分通りだと県域が減ることになる山形県までもが同調して、工事中止命令を出す。

これでは北都開発の腹の虫が納まるはずがない。同社は山形行政監察局に苦情を申し立てる一方、山形営林署らを公務員の職権乱用および業務妨害で告訴。山形と白石の両営林署長ほか10数名が逮捕されるという事件にまで発展した。さらに北都開発は、国の勝手な県境移動によって損害を受けたとして、国家賠償請求訴訟を起こしたのである。

その後、北都開発のリフトは一年あまり遅れて開業したものの、わずか2年で廃業に追い込まれた。この問題は国会でも追求されたほか、刑事、民事の裁判の過程では、北都開発を不利にするために、営林署と県がさまざまな妨害を行ったことが証言で明らかとなった。

刑事裁判では、営林署長らの職権乱用は無罪(収賄は有罪)となったものの、国賠訴訟は長期化し、一審判決が出るまで実に23年間もかかった。その一審では北都開発が敗訴したが、控訴審の仙台高裁は「山形営林署長らは故意に県境を移動した」と認定。逆転敗訴した国は上告することなく確定して、32年間にもおよんだ北都開発商会の主張がようやく認められた。やはり、県境は人為的に動かされていたのである。

『県境・境界線 92の不思議』 P216


さて、このリフト建設のトラブルが発端となって、山形県上山市と宮城県七ヶ宿町のあいだで県境紛争が起こり、こちらも長期化の様相を呈した。自治省(現・総務省)は現地調査するなど、双方の言い分を聞いて調整にあたった。

境界未定地は長さ1.2km、面積わずか0.08平方kmという狭い地域で、もともとは争いなどなかったはず。だが、こうなるとメンツのぶつかり合いで、「藩政時代から公認されてきた境界だ」、「安易に妥協すれば先祖に笑われる」と双方ともに一歩も譲らず、そのため自治省の裁定も延びに延びた。

しかし、上山市と七ヶ宿町とは江戸時代から交流があり、食糧難の時代には米や野菜などを融通し合った仲でもある。それなのに、県境ごときの問題で泥沼状態がつづけば、永年築いてきた両市町の友好関係にヒビが入りかねない。早期に解決してほしいという住民からの要望もあり、1984(昭和59)年になって、それまで店晒(たなざら)しにされてきた県境問題が一気に進展。同年10月、田川自治相は両者が譲歩し合意したことを踏まえて、新県境を登山道と林班界のほぼ中間とする裁定を下した。

この裁定に納得した上山市長と七ヶ宿町長は固い握手を交わし、より地域の発展に尽くしていくことを誓い合った。21年ぶりの決着であった。自治省の裁定で県境問題が解決したのは、1947(昭和22)年4月に地方自治法が施行されてから初めてのことである。







2016年3月10日木曜日

雪崩、最初の15分 [真崎文明]



話:真崎文明(モンベル社長)





「バフッ!!」

空気を押しつぶすような、雪崩独特の音が聞こえたと同時に、僕の目の前にいた友人らの足元が崩れだし、あっという間に流されました…。

一人は谷底まで滑落して亡くなりました。

当時20歳過ぎだった僕にとってはかなりの衝撃で、今でも滑落停止姿勢をとりながら流されていく友人の姿が脳裏に残っています。





では、実際に雪崩に飲み込まれたときは、どう対処すべきか?

雪崩が発生して止まるまでの時間は、たいてい1分未満だそうです。雪崩が動いているときは身体を動かせる場合が多いので、視野のなかで明るい部分があれば、そこに向かって泳ぎ続けます。

また、雪崩は止まると同時に雪がギュッと締まり、全身が埋まってしまうと身動きがとれません。雪崩事故の死因の8割近くは窒息によるものですから、口元を手で被いエアポケットをつくる努力をすることも大切です。





雪崩で埋没してから約15分を境に、生存率は急速に下がるといわれており、迅速な捜索がもとめられます。雪崩に巻き込まれてからの遭難者の生存率は、15〜18分で9割ほどで、エアポケットの有無が重要となります。35分を越えると低体温症の危険が増してきます。






引用:岳人 2016年 01 月号 [雑誌]




2016年3月9日水曜日

冬山最強の乾電池「Energizer」



話:真崎文明(モンベル社長)





アルカリ電池の9倍長持ち



電池は低温になると機能が低下することがある。一般的に

アルカリ電池マンガン電池は低温に弱く、

リチウム電池ニッケル水素電池などは低温に強い

とされる。ビーコンやヘッドライト、GPSなど、冬山で使う電気機器には、低温に強いものを使おう。現状では

エナジャイザー社のリチウム電池が冬山最強

といえる。



氷点下40℃でも使用可能
従来のアルカリ電池より、3割以上軽量
世界一長持ちする乾電池

Energizer Ultimate Lithium


出典:岳人 2016年 01 月号 [雑誌]